季刊大林No46

特集 HAKODATE 函館

平成11年4月発行

大林組

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建設業界大手の大林組が発行しているPR誌。といっても60ページフルカラーの冊子は外見のみならず内容もなかなか分厚い。いまから11年前といえば、まだ五稜郭の奉行所の工事着工まで7年もある時期。その当時から函館市の教育委員会を中心に、五稜郭奉行所の復元に向けた動きが着々と進んでいたことを、この冊子は明快に示している。


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正直言って、この方と出会うまではハンドメイドフラワーやラッピングは商品の脇役だとばかり思っていました。ちょっと丁重なプレゼントに添える飾り物として、何となく「こんな感じがいいのかな」と選ぶことはあっても、作品とまでは見ることがありませんでした。

ところが、丹崎さんの作品は主役の座を奪うものばかり。どんなものにでもその道を追求していけばアートとなりうるのだということを教えてもらいました。

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幕末おろしや留学生
宮永孝
筑摩書房(ちくまライブラリー)
1991年

慶応元年(1865年)箱館の港を出帆したロシア船の船上には6年間の日本駐在を終えて帰任する元箱館駐在ロシア領事ゴシケビッチとともに若い日本人留学生6人の姿があった。
幕末、開国後の外国交際を始めて間もない徳川幕府がオランダ(1862年)に続いて送り出した海外派遣留学生だ。この一行の中には箱館奉行所から1人が加わっていた。しかもリーダー格。




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チェンバリストの森洋子さんは福岡市出身。アメリカのチェンバロコンクールで優勝、国立音楽大学で講師をするなど、東京、山梨で活動していたプロ中のプロであるが、落ち着いた音楽環境を求めて2006年に拠点を函館に移して、全国で活躍中である。函館に移住する前にも10回近く来函して演奏を行っていたので、既に移住前からおなじみではあったが、移住後はやはり函館での演奏活動の回数も多くなり、森さんの演奏を通じてチェンバロの魅力にとりつかれた函館市民も多い。

8月29日公民館マチネでJ. S. バッハのゴールドベルク変奏曲全曲が演奏される。チェンバリスト森洋子さんの「人生を変えた一曲」というゴールドベルク変奏曲の魅力を、森さんに聞いた。

ゴールドベルク変奏曲(ゴル変)は、ピアニストのグレングールドが死の直前1981年に録音した盤が一躍有名になり、今やバッハの作品の中で一番有名と言っても良い曲である。バッハが音楽を手ほどきしたヨハン・ゴットリープ・ゴルドベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルドベルク変奏曲」の俗称で知られている。映画では《羊たちの沈黙》《地球が静止する日》《時をかける少女》などでも使われており、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

この曲は元々2段チェンバロのために作曲されている。アリアとよばれるテーマ部に引き続き30の変奏が行われ、最後に再度アリアが演奏される。譜面には各変奏曲に繰り返しが指定されているが、実際には繰り返し無しで演奏されることが多い。繰り返しなしでも全曲を演奏するのに50分という大曲で、また非常に難易度が高い。
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森さんがチェンバロに興味を持ったのは意外にも大学院在学中で、実際に自己流で弾き始めたのが修了後なのだそう。大学院まではピアノ科でピアノを学んでいたが、大学院修了試験でゴル変を選んでピアノで演奏したのを機にチェンバロに興味を持ったそうだ。大学院修了試験は約50分の演奏時間の中で自分で選曲して演奏するもので、通常はショパンやリストなどの曲を織り交ぜて演奏するところ、あえてゴル変1曲で試験に挑み、ちょうどその頃に発売されたグールドの1981年盤なども聞いてその魅力にはまっていった。試験に向けて探求していくうちに、ピアノでは表現しきれない2段鍵盤チェンバロの立体的な音楽構成やチェンバロ特有のアーティキュレーションに興味を持ったのだそうだ。その後、チェンバロに転科。桐朋学園大学研究科古楽器科修了し、以後、チェンバロ演奏を専門とするようになったとのこと。ゴル変は、森さんにとって、まさに、人生を変えた1曲だった。

このゴル変、30もの変奏曲を含むが、これが精緻に構成されている。まず、30曲は大きく1~15曲目と16~30曲目に分けられる。さらにそれは細かく(1,2,3), (4,5,6), ..., (28,29,30)と3曲ずつにグルーピングされる。それぞれのグループの1曲目はキャラクターピース。舞曲などの楽しい曲が置かれる。特に後半の第1曲目になる16曲目はフランス風序曲が配され、後半の始まりにふさわしい。グループの2曲目はテクニカルな曲が配され、高度な技術を要する。同年代の作曲家スカルラッティーの影響があるのではないかと言われている。グループの3曲目はカノンで構成される。カノンとは同じメロディーが時には音程をずらして追いかけていく対位法を用いた作曲技法である。第1グループの3曲目は最初のメロディーと追いかけるメロディーが同音(1度)のカノン、第2グループ(通しで6曲目)は2度のカノン、第3グループは3度のカノン、と続き、第9グループには9度のカノンが配される。最終第10グループの3曲目すなわち通しで30曲目は例外で、当時のはやり歌「長いこと御無沙汰だ」が変奏に織り込まれている。この曲の直後に、一番最初に演奏されたアリアが、長い変奏の末に再来することを「長いこと御無沙汰だ」に掛けたという訳だ。このような立体的な構成は、巻物を繰っていく日本の文化とは異なり、ドイツ人特有の立体的、俯瞰的視座のあらわれであると森さんは言う。さらには、当時の哲学者達が論議していた宇宙論や全てを網羅しようとする百科全書派の哲学にもつながる。

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さて、このゴル変。有名なわりにはめったに音楽会で聞く機会は無い。東京でさえ、年に何回もあるものではないと言う。それが函館では、森さんの演奏で何回も聞く機会がある。2008年には芸術ホールでのスプリングコンサートで、また今年1月23日・24日には元町画廊で演奏している。いずれのコンサートも大変好評であったが、今回は歴史的建造物ならではの雰囲気の中でじっくりと聞くことが出来るだろう。

どのように聞いたらいいのかとお聞きしたら「寝るなりなんなり(笑)」とのことだったが、すかさず「ライブならではの醍醐味を楽しんで欲しい」と付言した。CDなら途中で止めたり、何度も聞いたりということができるが、ライブではそれはできない。演奏者も聴衆も一本勝負。聞き逃したらプレイバックできない。ゴル変の「立体構造」を頭に入れ、縦糸、横糸を確認しながら聞いていくと、30曲を聴き終わったときにバッハ設計の壮大な森ビルが目の前に現れるかもしれない。期待したい。  

日時/8月29日(日) 14:00~
場所/函館市公民館
入場料/1000円
演奏曲目/J. S. バッハ作曲 ゴールドベルク変奏曲
出演/森洋子
詳細/こちら (チケット予約フォームも)
            

最後の箱館奉行の日記

田口英爾著

新潮社(新潮選書)

1995.4 (現在絶版)

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箱館奉行所の最後の奉行、杉浦兵庫頭誠は、幕府の目付け時代から毎日の勤務や身辺のことをほとんど欠かさず日記に残していた。日記自体は「杉浦梅潭目付日記・箱館奉行日記」として刊行されている(梅潭は雅号)が、その内容を要約し解説したのが本書。

 

「来年の夏になったらね、庭に植えた苺を食べに来てくださいね。小さい庭だけどちゃんと育てるからね」

おばあちゃんは私にそう言った。私も楽しみにしていますと、来年の約束をした。だが、その約束は果たせなかった。その時以来、おばあちゃんと会う機会がなくなったからだ。

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弥生坂の道路が細くなった坂道。このあたりから勾配が急激にきつくなる。この歩くのがきつい坂道におばあちゃんは住んでいた。

本書については、既に一昨年kitra氏による紹介があるが、今回の「箱館奉行所」復元オープンを機会に再度とりあげる。

 

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五稜郭-幕末対外政策の北の拠点

田原義信

同成社

2008年5月

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黒船前夜

渡辺京二

洋泉社

2010.2

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(読了後の追記)

随分前に読了していたのだが記事のアップをし損なっていた。遅ればせながらの追記

函館の開港というと1854年のぺりー来航がすぐに想起される。実際に「最後に引き金を引いた」のがアメリカであったことはその通りだが、実はそれ以前から再三の接触がロシアとの間では続いていた。ゴロウニン事件、プチャーチン来函、露艦の対馬占領など多くの場面で、ロシアは当時の日本にとってもっとも手ごわい交渉相手であったし、交渉役として箱館奉行が再三登場もする。実際に最初の樺太の国境画定交渉に日本から派遣されたのは当時の箱館奉行小出秀実であり、彼は五稜郭に新築なった「箱館奉行所」の最初のトップでもあった。

本書では、実は高田屋嘉兵衛が活躍しことで有名なかのゴロウニン事件の解決に際して、日本側で交渉役となった荒井但馬守成章の格別な努力があったことが明らかにされている。実は当時の幕閣内部には、荒井を筆頭にロシアとの通商を認めるべしという意見がかなりあったということも。

歴史にIfは禁物だが、砲艦外交のぺりーに対して、プチャーチンなど、当時は(その後の歴史からは意外にも)融和的な姿勢で通商を求めてきたロシアとの間で先に「開国」がなされていたら、日本のその後の国際外交も、そして、当時ロシアが唯一の領事を置いた函館のその後の歴史も分違ったものになっていたかもしれない。

そういう歴史的イマジネーションを喚起する好著。 

函館物語

函館物語

価格:630円(税込、送料別)

辻仁成著の函館物語は、函館で青春時代を過ごした辻仁成が、函館に1週間旅行をし、旅行ガイドブックなどに書かれていない函館の違った顔を見つけようとするノンフィクションです。文章ともに80枚以上の写真がフルカラーで収録されています。

辻仁成が旅行をしたのは1996年6月。私が函館に来て3年目で、函館の魅力が判ってきたころに、この本に出会い、益々函館好きになっていきました。

それから14年の年月がたちました。久しぶりに頁をめくると、14年の間、ほとんど変わらずにある物も多くありますが、今は無くなってしまった懐かしい風景が写っていたりもします。函館物語の写真に写っている風景が今どうなっているのかを無性に調べたくなってきました。

以前なら、1週間かけて、辻仁成が歩いた道を追って、写真を撮らなければなりませんでしたが、現在は、ストリートビューで、居ながらにして風景を見ることが出来ます。そこで、掲載されている写真のストリートビューを集めてみました。

函館物語には、写真がどこで撮られたのかについては一切書かれていませんが、ジモピーの感でかなりの写真について場所が特定できました。

函館物語をお持ちの方は、是非、見比べながらお楽しみください。また、もし誤りや追加情報がありましたら、コメントに書いていただけるとうれしいです。




函館物語掲載写真のストリートビューなど

2010年7月25日版

ページタイトル説明確度[URL]
1消火栓青柳町方面 立待岬方向D
4函館山末広町23-9 ホテルニューハコダテ屋上函館山山頂方向(函館教会とカトリック教会が見えます)C[URL]
8大森浜宇賀浦町6-10 アモリーノ付近から立待岬方向(特徴的なマンションが映り込んでいます)A[URL]
12大森浜宇賀浦町15-6 福田海産付近?湯の川方面C[URL]
16巴座大森町17 巴座駐車場前交差点(今は駐車場になってしまいました)A[URL]
20ひし伊宝来町9 ひし伊前A[URL]
24阿佐利宝来町10-11 阿佐利本店前A[URL]
28朝市若松町11-13 朝市仲通函館山方面A[URL]
29笹流ダム赤川町313 笹流ダム付近B[URL]
32カリフォルニアベイビー末広町23-15 A[URL]
49穴間海岸付近 D
50ひし伊宝来町9 ひし伊A[URL]
52旧丸井さん末広町16-1 二十間坂電車通り交差点函館市地域交流まちづくりセンター方向(旧丸井さんは函館市地域交流まちづくりセンターとなっています。)A[URL]
53井上米穀店宝来町4-12 井上米穀店前交差点A[URL]
54函館山ロープウエイ N
54パーマ店 N
55廃墟末広町16-1 末広町1交差点南A[URL]
56犬と女の子 N
57山頂駅元町1-4 元町配水場函館山山頂方向(台風で杉の木がだいぶ倒れました)C[URL]
58茶夢若松町9-15 店内(旧店舗)A[URL]
60笹流ダム赤川町313 笹流ダム付近A[URL]
62カリフォルニアベイビー末広町23-15 A[URL]
64ヨットハーバー大町15 B[URL]
64相馬倉庫大町11 C[URL]
65落書き N
66旧尼崎製罐函館工場末広町22-9 (2001年に解体され、ウィニングホールに建て替えられた)A[URL]
66函館水上警察署大町13-1 (解体され2007年に函館市臨海研究所に建て替えられた)A[URL]
67子供 N
68廃墟 N
70ガソリンスタンド弁天町15-2 C[URL]
71太刀川家住宅店舗弁天町15-15 A[URL]
72日和坂大町20 北海道第一歩の地碑A[URL]
73エビス商会前末広町17 A[URL]
74祐鮨前宝来町22-13 A[URL]
75東春前松風町2-12 A[URL]
75月夜 N
76五島軒末広町4-5 大町の間A[URL]
76旧丸井さん末広町4-19 (現在は函館市地域交流まちづくりセンター)A[URL]
79北斗ビル前電柱末広町17 十字街方向C[URL]
80外人墓地先入舟町21 B[URL]
96 N
97 N
111教会 N
113来来軒末広町16-3 店内A[URL]
116松源宝来町21 (2005年に閉店)A[URL]
120土蔵 N
121レンガ塀 N
123ベンチ N
124護国神社前青柳町9 入口階段の左側ヨハネ教会方向A[URL]
125博物館横青柳町17-1 入口左側函館山方向A[URL]
126函館教会元町31-19 A[URL]
127旧ロシア領事館船見町17-3 A[URL]
128入舟漁港石積入舟町14-14 N
129入舟漁港 N
130コンクリート建造物 N
131コンクリート建造物 N
132函館市文学館末広町22-5 A[URL]
133マンション屋上南部坂上付近? C
134おばあちゃん N
136函館湾入舟町18 A[URL]
137 N
140路地入舟町付近 N
141行き止まり N
144山背泊2 N
145エントツ N
148 N
149外人墓地船見町24 函館山方向A[URL]
152 N
152旧渡邉家住宅元町15-28 (大正10年建造)A[URL]
153八重桜 N
156 N
157旧函館麦酒会社醸造所谷地頭町24 正確な場所は不明(函館の建築探訪P104の写真と一致)B[URL]
160 N
161女の子 N
164ポスト入舟町23-7 三浦商店前高龍寺方向A[URL]
166住吉漁港入口青柳町38 漁港方面A[URL]
168旧函館博物館ニ号館青柳町17-4 N
170立待岬住吉町 南西方向A[URL]
172ラメゾンドカンパーニュ時任町28-8 A[URL]
173十字街末広町10-2 道銀前江口眼科方向A[URL]
176岸壁末広町24-6 西波止場前B[URL]
178少年刑務所金堀町6-11 B[URL]
179木造建築物 N
180十字街末広町10-2 道銀前坂本龍馬記念館方向(ホームファニチャーマカベは坂本龍馬記念館になりました)A[URL]
181旧丸井さん末広町10-2 道銀前函館市地域交流まちづくりセンター方向A[URL]
182住吉漁港無線所青柳町40 C[URL]
183住吉グランド青柳町35 A[URL]

この情報は、函館コンシェルジェの推定に基づくものであり、正確性は保証しません。
ページ数は、集英社文庫第1刷(1996)に基づいています。
確度A:場所特定、B:ほぼ特定、C:不確実、D:憶測、N:特定できず

 

終わらざる夏

浅田次郎

集英社

2010/7刊

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数年前浅田次郎氏の講演会が函館で開催されたとき、「私は今、敗戦直後の占守(シムシュ)島(北千島でもっともソ連領カムチャッカ半島に近い島)での日ソの戦争について書いています。実はそこに函館高女の卒業生数百人が徴用されていまして。ソ連の攻撃直前にその400人が決死の脱出をはかりました」という話があった。

 

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