函館は「風の都」

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イザベラ・バードの日本紀行 (上・下)

イザベラ・バード  時岡敬子訳

講談社学術文庫

2008/4

 


先日の成田空港でのFDX機の着陸失敗・炎上事故。原因のひとつがウィンドシア(局所的に起こる風の強い変化)とされ、函館空港でも過去に同様の原因によるANA機の着陸事故があったという報道。そこで思い出したのが、次の言葉。 

 

函館は「風の都」である。

  

函館を「風の都」と表現したのは明治11年(1878)に函館を訪れた、英国人女性旅行家、イザベラ・バード (Isabella L.Bird) だ。バード女史はまだ交通手段が十分ではない時代に、日本のみならずオーストラリア、朝鮮、マレー半島、チベットなどを踏査し、貴重な記録を著している。

 日 本関係の著作は上記の「日本旅行」(最初の邦訳が「日本奥地紀行」(原著:Unbeaten Tracks in Japan),その中に、東京から発して、北海道へ至る旅の記録が残されている。もちろん、北海道の玄関、函館についてもかなりのページが割かれている。 当時の東京・函館は海路が普通、まだ道路も宿泊所も未整備な時代、外国人女性として初の陸路による東北縦断の苦難の体験。

 

函館について書かれた章のサブタイトルに使われているのが、「風の都」(Windy Capital)という言葉。

バー ドは函館での風の強さに驚き、風対策として民家の屋根にびっしりと置かれた石に随分と興味を引かれたようだ。当時、すでに定期の蒸気船が始まっ ていた青森から函館に着いた時点で強風と大波に見舞われたバードは、税関の近くの桟橋に上陸し、ずぶぬれの状態で教会(英国国教会か)にたどりつき、心底 ほっとした様子を記している。紙数は多くはないが、往路(さらに北海道の奥地、白老まで行っています)・帰路(は函館から船で横浜へ)の2回立ち寄った函 館の当時の様子がよく書き込まれている。

 

バードから130年、函館の変貌は著しく、女史の目に映った風景はもはや、函館山を除いてはほとんど観ることはできないでしょう。

しかしバードが感じた「風」は多分いまも山の麓をまくように、時には強く、あるいは弱く、かつてと同じようにこの街には吹いている。

 

ちなみに、函館は函館山【標高300メートル】と対岸の亀田半島との間を、もっとも狭いところでは1KMぐらいの幅の細い長い砂洲で繋がった地形。地理学的には「陸繋島」と呼ばれる。

南側が津軽海峡、北西側は港湾。周囲の山地も複雑に入り組んでいる。そうした特異な地形が、強く・変わりやすい風の原因となり、さらに海からの風が遮るものない砂州の上を通り抜ける。

 強い風にあおられた大火災も相次いだ。特に明治40年と昭和9年の大火はそれぞれ当時の市街地の半分以上を焼き尽くすというものであった。







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