最後の箱館奉行の日記
田口英爾著
新潮社(新潮選書)
1995.4 (現在絶版)
箱館奉行所の最後の奉行、杉浦兵庫頭誠は、幕府の目付け時代から毎日の勤務や身辺のことをほとんど欠かさず日記に残していた。日記自体は「杉浦梅潭目付日記・箱館奉行日記」として刊行されている(梅潭は雅号)が、その内容を要約し解説したのが本書。
特に興味深いのが1866年(慶応2年)からほぼ2年強の箱館奉行時代。杉浦が着任後すぐに、当時勃発していた樺太でのロシアとの紛争の処理にあたったことや箱館在住の各国領事との交友など。当時の箱館が幕府の外交の最前線であったことがよく理解できる。
慶応3年4月、樺太でのロシア側の無届越境事件に際して、杉浦と当時のロシア大使ビューツオフの間で交わされた熾烈なやりとりなどは、杉浦の交渉能力の高さをうかがわせるもの。なお、この年2月、箱館の前任奉行の小出大和守秀実が樺太の国境画定交渉の談判のため幕府代表としてペテルスブルクに出張しており、難交渉の末、国境線は確定できず、樺太は日露の「雑居地」とされたのだが、当時の通信事情ではその結果は杉浦にはまだ届いていない。
そして白眉をなすのが、大政奉還後の、新政府への奉行所の明け渡しまでの経緯が記述される部分。当時、他の幕府の遠国奉行(長崎、兵庫など)では、大政奉還の報を受けると。、奉行自らが即座に任務を離れて江戸へ帰還(脱出)したのに対し、箱館奉行は事後の混乱を避けるべく、新政権への秩序ある引渡しを決意。狼狽する部下を抑えてそのとおりに実行したのだ。
今回、復元された箱館奉行所内の奉行の執務室(表座敷)では組頭などを呼んでの再三の協議の場面。檄こうする部下との緊迫のやりとり。そして大広間の一之間は明治元年閏4月27日、新政府の「箱館裁判所」総督清水谷をに迎えての引渡しの場面に登場する。
こうした場面を読んでから奉行所を見学すると幕末の奉行所の追体験ガ楽しめる。
なお、本書は残念ながら絶版なので、図書館での閲覧がお勧め。
(写真 左は一之間、右は表座敷 書は杉浦 )
関連サイト
箱館奉行所公式ウェッブサイト
同上 奉行所見学コース

コメントする