ZoomIn! 古地図カレンダー (2)ぺりー海図

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7-9月のぺりー海図をZoomInしてみる。
まず、全体の図面から5点のポイントを選ぶ。
①函館港の中央部分、②現在の船見町、外人墓地のあたり、③現在の西ふ頭付近、そして④日の出町付近、⑤亀田町付近

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①港の中央部分に書き込みがある。上からマセドニアン、バンダリア、ポーハタン、ミシシッピー、サザンプトンの5隻の「黒船」。それぞれが停泊した地点を示している。旗艦はぺりー座乗のポーハタン。乗員は全部で約2,000名。(当時の箱館の人口が約6,000人というからいかに多数かがわかる)港内には夥しい数字が記されているが、これば水深。艦船が安全に入港し、停泊地点を定める上で欠かせない情報。各艦船から多数のボートがちなみに数字は概ね今も通用する水深の単位(尋=ひろ=ほぼ1.8メートルに相当)。なお弁天から北の方面は幅広い浅瀬があることがよくわかる。(現在ここには函館どつくと防波堤がある)

当時の様子を日本側で記録したものとして「亜米利加船松前箱館江入津図」(図書館・デジタル資料館)というものもある。

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②港に突き出たPier(桟橋)とある地点。ここには船改番所が置かれ、外国船などからの(正式な)唯一の上陸地点。3週間の滞在中数度しか上陸しなかったぺりーもここまでボートで乗り付けたものと思われる。なお、この地点は現在の臨界研究所(元西警察署)にあたる。

③Cemetery(墓地)はぺりー艦隊が下田からの航海中と箱館碇泊中に死亡した2人の水兵を葬った場所。現在も外国人墓地内のプロテスタント墓地の区画に墓所が維持されている。

④砂山(sandhill)とある。現在の日の出町ごみ処理場、競輪場などの一帯。当時はかなり高く盛り上がっており、港の方面からもよく見えたようだ。本図の中の港への進入ガイドでも、この砂山を目印とするという記述がある。

④Kamidaは亀田のことであろう。まだ地名のローマ字表記などがない時代なので、当時の箱館の役人や住民の発音を 訛りのまま、すなおに表記た結果だろう。
他にも箱館=Hakodadi、赤川=Aga-Ngawa などの表記も見える。








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