ZoomIn! 古地図カレンダー (3)ぺりー海図の(2)

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 前回に続いてペリーの海図を仔細に眺めていきます。この海図はペリーの第2回目の日本訪問(1854年)の際に、横浜で日米和親条約を締約したペリーが、条約で開港場とされた箱館を早速に検分に訪れ、約3週間の滞在中という短期間の調査の結果作成されました。2年後、ペリーは米国議会に対して大部の報告書を提出しますが、その中にはこの海図をはじめ日本各地の10数枚の精密な海図が付録として挟み込まれていました。

 

2011calendar07-09.jpgのサムネール画像



港内の多数の箇所で水深測量がなされていることがわかります。船底が深い洋式軍艦が箱館港に安全に入港するためには、こうした情報が必須だったことがわかります。そして、港内に停泊したペリー艦隊5隻の位置も書き込まれています。



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実は、このペリー艦隊を陸上からスケッチした幕府の役人がいました。下は昨年のカレンダーの絵柄として採用されたもので、蝦夷廻哺図絵とよばれるものです。この絵図は七重浜方面から箱館山と市街地を描いたものですが、その中に2隻の巨艦が描きこまれています。陸地側には和船が多数停泊していますので、その大きさを対比できます。この絵の描かれた状況から、この船はペリー艦隊とみてよいでしょう。描いた当人の驚きと恐れがひしひしと伝わってきます。
 
この絵を描いた人物は、江戸から派遣され、松前に在留中の幕府目付堀利煕と勘定吟味役村垣範正らの一行から分かれてペリー応接に箱館に急行した数名の一人でした。役目柄とはいえ、重大な任務を負わされた彼らの緊張と不安がこの絵の中からも立ち昇ってくるように思えます。
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