三陸海岸大津波
吉村昭
文春文庫
2004/3
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今回の東北関東大震災に伴う大津波。死者・行方不明2万名を超えるとされる大災害だが、その規模を過去の災害と比較する際によく登場するのが、明治39年の明治三陸大津波と昭和8年の昭和三陸大津波である。前者は死者26,000名、後者は3,000名。吉村昭はこの2度の津波の都度、壊滅状態となった下閉伊郡田老村のことを中心に、この小説(ほとんどノンフィクション)を書き上げた。吉村の解説以外は、全編の大半が津波の記憶をもつ古老からの聞き書きや、当時の罹災者の記録(特に小中生の作文など)に占められているが、それらばまたとてつもなく恐ろしくそして哀しい。
田老村の村民の一人の証言。
沖合いからの異様な音をいぶかしんで海を見ると、海水がすさまじい勢いで干き、700メートルほども海底が露出した。その直後、40メートルほどの高さの黒い波濤が海岸に突進してきて、もやわれていた船や海岸に密集する家屋にのしかかった。
その田老村は、戦後高さ10メートル長さ1,300メートルという大堤防を築き、万全の備えを図った。しかしその大堤防も今回の大津波には勝てず、高波に乗り越えられるとともに決壊。田老村は明治以来3度目の壊滅。著者はすでに鬼籍にあるが、こうした「未曾有の」事態が生じうるという予感があったのか。今回の惨事についての証言が出てくる前に、私たちはまず、この過去の記録を読み返してみるべきか。あまりにも似通った惨劇が繰り返されたことに慄然とする。
なお、この明治39年津波の際、函館も若松・大森・住吉で浸水。海岸から最大80メートル地点まで冠水したと言う。

