函館に馬車鉄道が敷設された理由の一つには当時の市街地と湯の川温泉を結ぶ交通手段としての側面があった。それはともかく、湯の川電停に駅舎と呼ぶにふさわしい待合室があったことは知られていない。
まずは古写真をご覧いただこう。
(函館市中央図書館蔵)
待合室の脇に電車(恐らく50型)が停まっており、奥には湯倉神社の木々が見える。
函館に馬車鉄道が敷設された理由の一つには当時の市街地と湯の川温泉を結ぶ交通手段としての側面があった。それはともかく、湯の川電停に駅舎と呼ぶにふさわしい待合室があったことは知られていない。
まずは古写真をご覧いただこう。
(函館市中央図書館蔵)
待合室の脇に電車(恐らく50型)が停まっており、奥には湯倉神社の木々が見える。
箱館ハイカラ號こと39号は今を遡ること100年前の1910年(明治43年)12月に千葉県成田市で路面電車を運行していた成宗電気軌道が導入した車両である。ということで今年は製造100周年の記念の年である。
何故成田山の御膝元を走っていた車両が函館へやってきたのかを調べていくうちに、39号がいかに幸運かを窺い知ることが出来た。
2010年4月現在、函館市電には11形式35両(うち5両は事業用車両)の電車が在籍しているが、営業用電車のうち9割は車体広告が施されており、他地域の路面電車と比べても広告電車の割合が非常に高いと言えるだろう。もはや広告電車は函館の風景の一部と化していると言えるだろう。
というわけで、函館市電の全車両を一挙にご紹介しよう。
現在の車庫は駒場車庫だけですが、市内には4つの車庫跡地が存在する。
・馬車鉄道時代の車庫
函館の路面電車のルーツである亀函馬車鉄道時代の車庫の場所を知る人は少ないだろう。何せ廃止から90年近く経っており、幾度かの大火や区画整理、宅地化等々の影響により、残念ながら馬車鉄道の施設があった痕跡は一つも残されていない。
昔の電車通りから海岸へと延びる一本の道がある。ここにかつては車庫へ向かう軌道が延びていた。
古地図によると、右手が厩舎や車庫、道路を挟んだ左手に亀函馬車鉄道の本社社屋が建っていたと推定されるが、痕跡らしい痕跡は残されていない。
但し、地中にはもしかしたら遺構が眠っているかも・・・。
市電に貸し切りで乗って、街の景色を見ながら飲んだり食べたり、おまけにカラオケも楽しんじゃおうという「カラオケビール電車」。函館の夏の隠れた風物詩ともいえる、このお楽しみ電車に乗ってきました。
窓から流れ込む風は涼しく、街行く人と手を振り合うのもめったにない体験。あっという間の2時間をレポートします。
色とりどりの電車が並んでいるのに目を奪われますが、正面にあるパネルには、函館市電の歴史を語る貴重な写真と路線図があるのにお気づきですか。駒場車庫で見せていただいた2つの路線図、じっくり眺めてみることにしましょう。
駒場車庫は一般の人は見学できないものと思い込まれていますが、事前に申し込むと見学することが可能です。
駒場車庫は自動車で言えば駐車場と整備工場の機能を兼ね備えているほか、運行や営業の拠点としての機能も備えている施設だけあり、道路側から見るとそんなに広くはないように見えるものの、中に入れば意外と広いということがわかる。