これからの観光シーズン、観光客の方々はもちろんのこと、特に函館市民にも是非訪れていただきたいのが「碧血碑」であります。
場所は、市電「谷地頭」電停を函館八幡宮方向に向かい、突き当たった所で左折し、しばらく進むと案内標識が現れるのでそれに従っていただきたいが、ちょうど妙心寺の上にひっそりあるというイメージを持って行くとわかり易いと思います。
さて、この碑が建てられた由来ですが、多くの観光ガイドやWeb等で紹介されているので、細かく書きませんが、いちおう簡単に説明すると、箱館戦争でほぼ全滅となった幕府軍の戦士たちの死骸が市街地のあちこちに置き去りにされていたところ、侠客であった柳川熊吉が「死んでしまったら敵も味方も関係ない。弔ってやるのが人の道ってもんよ」という気概で、御触れをものともせず子分を引き連れて一夜にして実行寺に運び、遺体を安置させ仏の下に送ってやった。それを知った政府軍はお咎めどころか「天晴れ」と賞賛し、この碑を建立した。と、まぁこんないきさつで建てられものであります。
この経緯も大切なのですが、皆様にはこの碑をご覧になっていただき、どうして当時の人々が海を渡ってこの地を目指して来たのか、是非考えていただきたいと思っています。
幕府軍は政府軍に追われこの地に来て「蝦夷共和国」つくろうとした。新島襄はわざわざここまで来てアメリカに渡ろうとした。 石川啄木は自分たちの生活の救いを求めて北上して来た。名も無き人たちも一旗あげようと本州の故郷を後にした。函館で成功しなかった者は、次に小樽を目指して更に北上した。
そんな様々な人々の想いが交錯してできた街が函館であるのです。
ちょっと、難しいことを話してしまいましたが、この碑の前に立つとそんなことを考えるのも不自然ではないという気持ちになってしまいます。ちょっと小高い場所にあるこの碑から函館の街を見ると、壮絶な人間ドラマによって成り立った営みが埋もれているのではないかという想いを持ちます。
それだけの存在感と歴史という重厚さを物語っているのが、この碧血碑であります。

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