箱館奉行所の探索 其の壱 掛け軸

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7月末オープンの箱館奉行所の内部を探索してみる。いくつかのテーマを設けて何回かに分けての説明。

 

第一回 庁舎内の床の間に掛けられた掛け軸

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①表座敷

今回の復元建物の中で、もっとも奥まった場所にあり、かつもっとも重要な部屋。表座敷というのは奉行所の筆頭、奉行が執務する部屋。公式の使節との儀礼上の対面や、奉行所詰めの部下などへの公式の訓示などは4つの部屋からなる大広間で行われたが、この部屋は奉行の通常の執務と組頭、調べ役など上級幹部との打ち合わせなどに利用された。

この部屋の床の間に掛けられたのは、最後の奉行、杉浦兵庫頭誠の書(レプリカ)である。

杉浦は約2年の奉行の勤めの最後を大政奉還に伴う新政府への奉行所の「平和的な」引渡し(明治元年4月)で終えた人物。替わってこの建物の主人となった清水谷公考はわずか半年後に旧幕府脱走軍を率いる榎本武揚の進軍を前に青森へ脱出することになる。

この表座敷も、緊迫した空気の中で、杉浦とその配下が何度となく協議、激論した場所だ。なお、右手の白い壁は本来は襖で、奉行の住まいである官舎へと続いていた。(今回の復元に含まれず)右奥の向こうには警護の武士などが詰めた部屋があった。

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②一之間

全部で72畳もある大広間は一之間から四之間まで襖で仕切られる。もっとも奥が奉行が座る一之間。正面左は欅に漆塗りの見事な違い棚。右の床の間にの掛け軸は、五稜郭奉行所の立案・実行にあたった3人の奉行(竹内・堀・村垣)のひとり掘織部の書(レプリカ)。堀は時の大老阿部に見出され外国奉行を勤めた開明派の実力者。五稜郭を中心とした城塞都市建設の雄大な計画をもっていたとされる。のちに安藤信正政権下での対プロシアとの条約締結交渉の途中で自害するという悲劇に見舞われる。

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三之間から一之間を望む。右に畳廊下、板敷きの縁側をはさんで庭  

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③使者之間

正面玄関から入ってすぐの使者之間。公式使節団の随行者などの控え室とされる。ここに掛けられているのは、明治元年冬、3000人以上の旧幕府軍を擁して五稜郭に進駐したいわゆる「蝦夷共和国総裁」榎本武揚の書(レプリカ)。なお、公開中の奉行所ではこの部屋で短いビデオで奉行所のあらましが紹介される。(写真右)

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展示室では榎本はじめ、奉行所に関連のある人物の写真とプロフィルが面白い仕掛けで表示されている。

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