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箱館奉行所は18時閉館、一方五稜郭郭内への入構は19時まで。

というわけで、奉行所の周辺に人がまばらになる、この1時間は余計なものが写らない(かの貸し衣装も!)絶好のシャッターチャンス。というわけで、9月初旬のある夕方、奉行所の夕景を撮影にいって来ました。撮影は150+スタッフのBakucho氏、私は助手です。

最初のショットは18:10頃。最後の見学客を送り出して、奉行所スタッフも退出。夜の帳が近づいています。まだライトアップも投光機も作動前。

撮影中、時折郭内の夜の散歩を楽しむ方々(もちろん大半はカップル)が現れます。その都度「撮影にご協力を」とお願いするという無粋な役回りは助手のシゴト。中には「まだ奉行所は開館中?」と勘違いされてくる方も。

徐々に、周囲の暗さがましてきて18:20頃にはライトアップ開始。奉行所への遊歩道の両端の地面n灯り、そして奉行所正面の高い場所から強烈な投光機が奉行所を闇の中に浮かび上がらせます。

以下4枚の組写真で。

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五稜郭内の「箱館奉行所」の開館が7月29日。久方ぶりの大型観光名所の登場で今年の函館観光への好影響が期待されている。

その五稜郭の真向かいに立つ五稜郭タワー。数年前に建て替えられて107メートルと国内でも有数の観光用展望台。年間70-80万人がこの展望台から五稜郭の全貌を楽しんでいる。

公開間近の奉行所の建物の位置関係などを俯瞰するには格好のロケーション。

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ところで、この展望台には五稜郭の歴史を理解するための展示があることは意外に知られていない。

函館から車で1時間30分。江戸時代末期までは本州との交易と鰊で栄え、松前と並んで北海道でもっとも栄えた港町だったが、ある時から長い停滞期に入る。

江差を中心とする檜山支庁も、道内の支庁再編の動きの中で渡島支庁への吸収合併方針が示された。紆余曲折の末、この4月から振興局と名前を変えた。江差自体の人口も1万人を割り込んでいる。

町の衰退を象徴するのがJR江差線、いまや日に6本程度しか通っていない。函館への足はとっくにマイカーにその座を奪われている。

終着駅という言葉以上のもの悲しさが駅舎を包む。

 

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碧血碑

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これからの観光シーズン、観光客の方々はもちろんのこと、特に函館市民にも是非訪れていただきたいのが「碧血碑」であります。

場所は、市電「谷地頭」電停を函館八幡宮方向に向かい、突き当たった所で左折し、しばらく進むと案内標識が現れるのでそれに従っていただきたいが、ちょうど妙心寺の上にひっそりあるというイメージを持って行くとわかり易いと思います。

いすずさんのリポートで、昔大成で伺った話を思い出し、便乗して同じく大成の話題を追加。

約25年前の話で恐縮ですが、せたな観光協会で定灯篭の場所と破片を発見したと紹介されている「地元高等学校教諭」本人と思われる方から聞いた話です。

江戸時代、大成に美泉定山という僧侶が本州よりやって来た。その僧侶はこの土地に着いてから、仏の道を説くだけではなく、自ら動き回り街の整備に取り掛かった。当時この辺の海は荒れると座礁する船舶が絶えず、せっかくの海の幸の運搬にも支障をきたしていたのである。そこで、定山は今回いすずさんが命をかけて行った太田山神社附近の帆越岬に灯篭を設置したのだ。その灯篭は安芸の国の政四良という行者が奉納したとされていますが、その教諭は定山が企画したと推測していました。

灯篭は今の灯台と同一の役目を果たし、そのお陰で航海は容易になり、近くの港には船舶の寄港が相次ぎ街が潤ったとのことです。

ところが、豊かになると人の常として放漫になり、秩序が乱れて来るわけで、その人々の堕落振りに愛想をつかして定山はある日突然この街を出てしまったのでありました。その後、定山は北に向かい、ある場所で動物が湯に浸かっているのを発見。自分も入ってみると「う~ん、これはいい湯だ」ということで、湯治場にした所が彼の名をとり、「定山渓」となったとのことです。

もし、定山が大成を後にしていなければ、定山渓は違う名前になっていたかもしれません。本当に歴史とは面白いものです。ちなみに、何せ25年も前に聞いた話ですので細かな箇所は私の誇張・創作が混じってしまっているかもしれませんが、大筋では間違いないと思います、たぶん。

突然思い出し書き綴ってしまったため、またも写真はありません。失礼しました。

2009年夏のある土曜日の9時に駅前・大門付近を歩いてきました。

衰退、空洞化が言われて久しい駅前・大門エリアですが、そういう中でもしっかりお店を守っている方々にはそれなりの強み、そして客をつなぎとめる魅力があるのでしょう。外観からもそうしたオーラが感じられるように思います。

 

執筆 : kiichi

志苔館

 

「館」というのは、中世の「城」である。最近の整備という理由は別にしても、中世のものでありながら、近代の史跡である四稜郭跡と比較して、素人目にはまったく引けをとらない。

 

ここ志苔館は、倭人とアイヌとが戦ったコシャマインの戦いの舞台ともなり、一方で倭人とアイヌ、北海道と津軽との交易の拠点であったとも考えられている。

 

函館空港のすぐ隣に位置しているが、見事な土塁や遺構が、かつての繁栄を物語っている。

 

執筆 : kiichi 

基坂を見上げると、堂々とした風格で旧函館区公会堂を見ることができます。


函館を代表する建築物の一つです。

 

観光標識の位置

 

 


 

 

●函館市観光標識内容

 

旧函館区公会堂


 明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、9,000戸近くを焼失した。この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」が組織され、建築資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。
 当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗など多くを消失したにもかかわらず5万円の大金を寄付したためこれをもとに明治43年(1910年)現在の公会堂が完成した。
 この建物は北海道の代表的な明治洋風建築物で左右対象形になっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入り口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表している。
 昭和49年5月国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして修復された。 函館市


OLD PUBLIC HALL OF THE HAKODATE WARD


 In August 1907 a big fire burnt down nearly 9, 000 houses, almost gathered together was lost. Mr. Teppei Soma, a wealthy merchant at that time contributed \50,000- (a terribly great value of money) though he had also lost his own shops in that fire. Thanks to him, the present public hall was completed in 1910. This hall is of the typical western style architecture of the Meiji era. It is constructed symmetrically. It shows unique architectural style on the verandah upstairs, the skylights and the carvings on the pillars of the entrance and porches. In May 1974, It was designated as an important cultural property and the building was entirely restored in 1982 after three years of work.

 

旧函館区公会堂


執筆 : kiichi 

元町公園に位置する旧北海道庁函館支庁庁舎。現在は観光案内所や写真歴史館として開放され、多くの観光客に利用されています。

 

観光標識の位置

 


 

 

●函館市観光標識内容

 

旧北海道庁函館支庁庁舎(北海道指定有形文化財)


 旧北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年)に修復整備されたものです。特徴のひとつ に柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が柱頭飾り(コリント式)と中央部に膨らみのある(エンタシス風)巨大な4本の柱で支えられています。
 明治末期の函館を伝えるこの洋風建築物は、北海道開拓の歴史上価値が高いことから、昭和60年(1985年)北海道有形文化財に指定されています。
 現在は、1階を元町観光案内所として利用し、2階は「写真歴史館」として"北海道写真発祥の地函館"の歴史を伝える貴重な写真機器や資料を展示しています。
 また、ここ元町公園は、江戸時代には松前藩の藩所や箱館奉行所が、明治維新後は開拓使函館出張所や函館県庁函館区役所等が置かれ、常に行政府の中心となっていたところです。 函館市


THE HOKKAIDO PREFECTURAL GOVERNMENT'S OLD BRANCH OFFICE IN HAKODATE (Designated by Hokkaido as a Tangible Cultural Asset)


 The Hokkaido Prefectural Government's Old Branch Office in Hakodate was built in 1909 and was restored in 1982 together with the construction of an adjacent park. One of its main features is a portico : the two-story roof is supported by four huge column capitals (Corinthian order) and pillars which bulge slightly in the middle (Entasis -style). This Western-style structure is highly valued as it shows the Hakodate of the late Meiji period as well as attesting to the history of Hokkaido colonization Because of its historical significance , the Hokkaido Government designated it as a tangible cultural asset in 1985. Today, its first floor serves as a Motomachi tourist information office, and the second floor is open to the public as a Hakodate City Museum of photograph history , where valuable photography epuipment and document s are displayed to show Hakodate's history as an early hub of photography in Hokkaido. The City of Hakodate

 

函館 四稜郭

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執筆 : hanarin 

函館と言えば五稜郭公園が有名ですが…。しかし函館には『四稜郭』という場所もあります。

「四稜郭は旧幕府軍が五稜郭の背後を守るために五稜郭の北東3キロ構築した陣地」だそうで五稜郭公園から北方に車で約30分程の場所です。

登り坂なので車で訪れる事をおすすめ致します!

 

 

土偶の中は広いのでキャッチボールやバトミントンなどして遊べそうです。

  

         

ベンチや休憩所などありますが、芝生の場所の方が多いのでシートを敷いてお弁当を食べたりお昼ねをするのにピッタリかもしれませんね。もちろんトイレも入り口前にありますが…。

注意点が2つあります。

一つ目はトイレは昔風なので小さいお子さんはくれぐれも注意して下さい!(落ちてしまいますよ。)

二つ目はちり紙がないので女性の方は忘れずに!!

水道はお水が出るようでしたので手も洗えます。

土偶の上からは函館山、五稜郭タワーが一望できて感動します♪

函館中心地から少し離れていますが一度訪れてはいかがでしょうか!?

  

 

四稜郭

函館市陣川町59番地

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